いきなり質問になってしまい申し訳ないのですが、
少しだけイメージしてみてください。
もし、あなたが初めて行ったカフェで注文をする際、
レジの店員さんが、「いらっしゃいませ」を言わない、
注文を言っても返事すらない、
終始ボーっとしていて、やる気が全く感じられない、
おまけにお釣りを間違える。
こんな対応だったらどうしますか?
おそらく、「なんだコイツ」と思いながらも、
心の広いあなたならばきっと、
「まぁ、いいか。」と事を荒立てることなく、
注文したものが出てくるのを待っていると思います。
しかし、そこで出てきた商品が全然違うものだったら・・・
「お前コノヤロー、いい加減にしろよ!」
とまでは言わなくても、
「ちょっとあんたねぇ…」
と、文句の一つくらい言っても、決しておかしくはない状況だと思います。
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—– しかし後日、こんな事実をあなたが知ったとしたら —–
カフェで働く彼女はとても頑張り屋で責任感が強く、
リーダーシップもあり、他のスタッフからも、
そして常連のお客さんからもとても好かれていました。
しかし3日前、彼女の母親が突然の事故で
帰らぬ人となってしまったのです・・・
「しばくらく休みなさい」
店からはこう言われていましたが、
今は人手不足で店が忙しい事をわかっていたし、
母を失った悲しみを紛らわすには、一心不乱に
働くことがベストだと、彼女はそう考えました。
そんな混沌とした精神状態の中、店に出勤した彼女でしたが、
周囲の心配をはねのけるかのように、
最初は普段通りに仕事をこなすことができていました。
しかし、忙しい時間が過ぎ、段々と客足が緩まると共に、
母を失った悲しみがまた襲ってきました。
そしてついに緊張の糸は切れてしまい、
彼女は感情をコントロールできなくなってしまいました。
・ ・ ・ ・ ・ ・
そんな時、あなたは来店したのです。
・ ・ ・ ・ ・ ・
どうでしょうか?
普通ならば、「そうか、そうだったのか・・・」
と、同情するかと思うんですね。
何も知らずに憤っていた自分を反省するかもしれません。
しかし、多くの人は事情を知らない限り、
「なんだこの態度の悪い店員は!」となってしまうわけですね。
なぜこんな話をしたのかというと、
単に知らないだけ、気づいていないだけで、
こういう事は、身近で日常的に起こっているからなんです。
普段自分の身に起こる、
「腹の立つ事」や「むかつく事」、「苦しい事」や「悲しい事」、「残念な事」
色々とあるかと思います。
しかしそれは、
自分の経験や価値観、先入観、固定概念といった、
独自のフィルターを通して見ているものにすぎないんですね。
実はその裏では、
あなたが予想だにしない事情が隠されているかもしれません。
明らかに理不尽と思える出来事にすら、色んな可能性があって、
そして、一歩立ち止まって考えてみる余地は残されている訳です。
「真実を知る事に価値がある。」
と言う事ではありません。
どこまでいったって、人の心情や事情なんて分からない事が多いし、
いちいち知る必要もないと思います。
それよりも大事なのは、
「見えにくいものを見ようとするという視点です。」
目で見える領域には事実しかありません。
見えにくい領域にこそ、真実が隠されています。
あらゆる角度から事実を捉え、物事を考える事ができる。
「見えにくいものを見ようとする」
この視点を持つ事で、視野が広がり、
色々なものを冷静に、客観的に見れる事ができるようになります。
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