「常識(モラル)の正体とは何なのか?そして、一体どのようにして作られたものなのか?」
先日、当サイトの読者様から、このような質問をいただきました。
質問内容をもう少し具体的に説明すると、
「私が何か新しいことにチャレンジしようとする時、いつも誰かが常識やモラルなどという
言葉と共に、自分の考えや行動を制限しようとしてきます。」
「世間が皆口を揃えて言う【常識(モラル)】の正体とは一体なんなのでしょうか?そして、
これは一体、誰の手によって作られたものなのでしょうか?」
ということです。
常識、良識、モラル、価値観、一般常識。
似たような意味を持つ言葉は世の中にたくさんありますが、
きっとあなたも子供の頃から、自分の親や、周りの大人達から散々、
「常識のある大人になりなさい」
「安全な道を進みなさい」
などと言われてきたのではないかと思います。
今日の話は本来、質問者様に個別で行う予定でしたが、
きっと多くの方にもお役立ていただけるような内容だと思えたので、
この場でお答えすることにしました。
あなたのこれまでの「常識」に対する考えが大きく変わる。
そんな話になると思いますので、是非真剣に聞いてみてください。
ということで、早速本題に入っていきたいと思います。
よろしくお願いします。
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早速ですが、あなたは「アダムとイヴ」の話を知っているでしょうか?
なんとなく知っている…という人がほとんどだと思うのですが、
知らない方のためにまずは引用文を掲載しておきますね。
旧約聖書『創世記』によると、アダムの創造後実のなる植物が創造された。アダムはエデンの園に置かれるが、そこにはあらゆる種類の木があり、その中央には命の木と善悪の知識の木と呼ばれる2本の木があった。それらの木は全て食用に適した実をならせたが、主なる神はアダムに対し善悪の知識の実だけは食べてはならないと命令した。なお、命の木の実はこの時は食べてはいけないとは命令されてはいない。その後、女(エバ)が創造される。蛇が女に近付き、善悪の知識の木の実を食べるよう唆す。女はその実を食べた後、アダムにもそれを勧めた。実を食べた2人は目が開けて自分達が裸であることに気付き、それを恥じてイチジクの葉で腰を覆ったという。
<出典:フリー百科事典【ウィキペディア(Wikipedia)】>
要するに「善悪の知識の実」だけは絶対に食べてはいけないと神様に言われていた
にも関わらず、イヴは蛇に唆され、その『善悪の知識の木の実』を食べてしまい、
その後アダムにも勧め、アダムも木の実を食べてしまった。
そしたらその瞬間、「モラル」という世界が見えるようになってしまい、
「裸は恥ずかしい」という価値観を覚えてしまった。
簡単に要約するとこういう話ですね。
では次に、この常識(モラル)や価値観、一般常識はどのようにしてできたのか?という
ことに対して、分かりやすく記述したある物語があるので、それを紹介したいと思います。
少し堅苦しい話が続いてしまいますが、
話の内容を深く理解するためにも、是非お付き合いください。
ある場所に、広大な野原がありました。
人間の背丈よりも高い草が一面に生い茂った大きな野原です。そこにある人がやってきました。
その人の目的は、野原の中にある小屋に行くことです。しかし、小屋の詳しい位置は全く分かりません。
分かっているのは「この野原の中のどこかにある」ということだけ。周りは、自分の背丈よりも遥かに高い草が生い茂っているため、
闇雲に歩き回って探し出すしか方法はありません。グルグル歩き回りました。グルグルグルグル歩き回りました。
歩き回った結果、その人はようやく目的の小屋に辿り着くことができました。・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
それから少しして、また別の人が野原の中の小屋を目指してやってきました。
その人も、小屋の正確な場所は分かりませんでしたが、
そこに足跡を見つけることができました。「この足跡を辿れば、小屋に行きつくことができるかもしれない。」
そう考え、足跡を忠実に辿り、グルグル回りながら、
最終的に小屋に辿り着くことができました。足跡は前よりも深く濃く刻まれました。
また別の人がやってきます。ハッキリと刻まれた足跡を見て、
「なるほど、この足跡を辿ればいいんだな。」
と、疑うこともなくその足跡を辿ります。そうやって、たくさんの人が辿った足跡は、
深く濃いものとなり、やがて道になります。この道のことを常識(モラル)と言います。
これが、常識やモラルができるロジックだという話なのですが、
ここでお伝えしたいのは、
本当はもっと近道があるはずだということです。
なぜなら、その道は最初に歩いた人がただ闇雲に歩き回っただけのルートであって、
違う道を行けばもっと早く小屋にたどり着けたかもしれないし、
もしかすると、本当は小屋というのは一つだけではなく、他にも複数あるかもしれない。
そして、その別の小屋こそが本当の目的地だったかもしれないし、
更には、別のルートを行けばもっと早く目的の小屋にたどり着けたかもしれない。
もちろん、もっと遠回りをしてしまうかもしれません。
それは分かりませんが、
いずれにせよ、そこには色んな可能性があるわけです。
99%の人はそうしない。
みんなが歩いている道こそ正しいルートだと信じて疑わないからです。
多くの人は曖昧な「足跡」よりも、より鮮明に刻まれた「道」の方が安全で、安心で、
確実で、正解だと思っているから、常識(モラル)という「道」を歩こうとするんですね。
多くの人が歩いていればいるほど、その道は「常識」として一般的になるし、市民権を得ます。
だから「いい学校に入って、一流の大企業に入れば一生安泰だ。」
などという考えを心棒している人たちが今でも大勢いるわけです。
歩もうとするルートの足跡が薄ければ薄いほど、
それに比例して恐怖やプレッシャーは大きくなります。
ましてや足跡すらないルートを行くなど、自殺行為だと言われてしまいます。
向こう見ずだと言われてしまいます。
でも、モラルや一般常識だからといって、それがイコール正しいものか、
最短のルートなのかというと、決してそうとは限らない。
私たちはこの事実に気付かなければいけません。
最初に道を示したものがいて、それを皆が真似をした、それに皆が続いた。
ただそれだけのことなんです。
世の中の常識やモラルなんて、結局はそんなものだということです。
だからあなただけには是非「自分の常識」に生きてほしいと思っています。
99%の凡人になりたくなければ、自分の価値観を信じ続けてほしい。
なぜならこれは、私自身が周りの人達から言われ続けてきたことだからです。
そしてその教えを守れば、常識の枠組みの中だけで生きている人には手に入れる
ことができないような、価値のある結果を手に入れることができるということを
私は身をもって実感しています。
もちろんそれには、世間の常識やルールと言うものは最低限理解している必要はありますよ。
必要はあるのですが、でも大事なのはそれを客観的に見ることができるかどうかです。
「なるほど、これが世間の常識なのか」と。
それを踏まえた上で、敢えて99%の人が歩もうとする道(常識)の逆を行く。
どちらが正しいとか、どちらが正しくないとか、そんなことは誰にも分かりません。
しかし少なくとも、多くの人が疑うことなく歩んでいる常識というレールの上には、
あなたの望む人生は用意されていないのではないかと思います。
自分が望む人生に強い信念とこだわりと情熱を持てるのであれば、
「皆が歩いている道だから、皆が言っていることだからそれが正しい」
などという非合理的な考えは捨てて、常識やモラルではなく、
自分の価値観を信じて生きるんだとそう決めるべきだと思います。
自分の常識に生きた人だけにしか見えない世界がそこにはあります。
きっと、あなたの理想とするものがあると思いますよ。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
ということで、終盤は少し話が飛躍してしまいましたが、
「常識(モラル)の正体」に関しては、理解していただけたのではないでしょうか。
これを理解しているかいないかで、今後の人生が大きく変わってくる。
決して大袈裟な話ではなく、
それくらい大きなパワーを持った真実なんだということを分かっていただけたら嬉しいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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